1. 工場の共有アカウントとは
共有アカウント(共有ID)とは、1つのログインアカウントを、複数の人が使い回している状態を指します。工場や製造現場では、この共有アカウントが広く根付いています。「ライン共通のログインID」「班で使う作業用アカウント」「保守用の共通アカウント」——名前はさまざまですが、要は「誰がログインしても同じアカウント」という運用です。
前回、共用PC(1台の端末を複数人で使うこと)について取り上げましたが、共有アカウントはその中でも特に問題の核心となる部分です。端末を共用すること自体よりも、ログインするアカウントを共有していることが、セキュリティ上の深刻な弱点を生みます。本記事では、この共有アカウント問題に絞って、その危険性と解消の道筋を掘り下げます。
現場の「あるある」から生まれる
共有アカウントは、悪意から生まれるものではありません。「交代のたびにログインし直すのは面倒」「全員分のアカウントを作るのは手間」「手袋のままパスワードを打つのは無理」——こうした現場の切実な事情から、自然と共有アカウントが定着します。だからこそ、単に「禁止」と言うだけでは解消できません。現場の事情に応える形の解決策が必要です。
2. なぜ共有アカウントは危険なのか
共有アカウントは、いくつもの深刻なリスクを抱えています。
- パスワードが変えられない:多人数が同じパスワードを知っているため、変更するたびに全員への周知が必要になり、事実上変えられなくなる。結果、何年も同じパスワードが使われ続ける。
- 退職者・異動者がアクセスできてしまう:共有アカウントのパスワードは、退職した人や異動した人も知ったまま。彼らが不正にアクセスしても、気づけない。
- パスワードが広まりやすい:多人数で共有するため、パスワードが口伝えで広まったり、付箋に書かれてモニターに貼られたりする。管理が効かない。
- 過剰な権限になりがち:「誰が使っても作業できるように」と、共有アカウントには広めの権限が付与される。乗っ取られたときの被害が大きい。
- 操作を追跡できない:誰が操作したか記録されないため、不正やミスの原因追及ができない(次章で詳述)。
これらのリスクは、単独でも問題ですが、組み合わさることで、工場のセキュリティに大きな穴を開けます。共有アカウントは、いわば「鍵を全員で共有し、その鍵は何年も変えられず、辞めた人も持ったまま」という状態なのです。
3. 最大の問題は「トレーサビリティの欠如」
共有アカウントが抱える数々の問題の中でも、最も本質的なのが「トレーサビリティ(追跡可能性)の欠如」です。共有アカウントでは、「いつ・誰が・何をしたか」を個人単位で記録できません。
これがなぜ致命的なのか、考えてみましょう。
- 不正・ミスの原因究明ができない:設定ミスや不正な操作が起きても、「共有アカウントで操作された」としか分からず、誰の行為か特定できない。原因を突き止められなければ、再発も防げない。
- 抑止力が働かない:「誰がやったか分からない」状態は、不正への心理的なハードルを下げてしまう。逆に「操作が記録される」ことは、それ自体が強力な抑止力になる。
- 監査・取引先要求に応えられない:「誰が操作したかを記録できること」は、内部統制の監査や、取引先から求められるセキュリティ要件、そして製造業のセキュリティ評価制度で、広く求められる基本要件。共有アカウントでは、この要求に応えられない。
「誰が操作したか」は、取引の条件になりつつある
サプライチェーンのセキュリティ要求が厳しくなる中、「操作を個人単位で記録・追跡できること」は、取引先から求められる基本要件になりつつあります。経済産業省・IPAが推進するSCS評価制度をはじめ、各種の評価制度でも、アクセスの記録・追跡は重要な項目です。共有アカウントを放置することは、取引先からの信頼や、ビジネスの継続そのものにも関わる問題になってきています。
共有アカウント、そろそろ解消しませんか?
「誰が操作したか」を記録できる個人認証へ。現場を止めずに共有アカウントを解消する方法を、Net Peaceがご提案します。
4. なぜ解消が難しいのか
共有アカウントの危険性は、多くの現場で認識されています。それでも解消が進まないのは、いくつもの壁があるからです。
- 現場の作業効率との衝突:個人ごとにパスワードを入力させると、交代のたびに手間がかかり、作業が滞る。手袋を着けたままでは入力しづらい。現場の反発が強い。
- アカウント管理の手間:作業者全員分のアカウントを作り、管理する手間が増える。人の入れ替わりが多い現場では特に負担が大きい。
- 古いシステムの制約:制御用の古いシステムには、そもそも個人認証に対応していないものもある。
- 「今動いているから」という慣性:共有アカウントで問題なく動いている現状を、あえて変えることへの抵抗。
これらの壁を乗り越えるには、「セキュリティのために現場に我慢を強いる」やり方ではうまくいかないことを理解する必要があります。無理なパスワードルールを課せば、現場は付箋やログインしっぱなしで対応し、かえってセキュリティは悪化します。求められるのは、現場の作業効率を損なわずに、個人認証を実現する工夫です。
5. 現場を止めずに解消する方法
共有アカウントを、現場を止めずに解消する。その鍵は、「パスワードに頼らない、素早い個人認証」にあります。前回の共用PCの記事でも触れた「端末は共用でも、ログインは個人ごと」の考え方が、ここでも中心になります。
- パスワードレスの個人認証を導入する:ICカードをかざす、指や顔で認証する、手元のデバイスで認証する——こうした手段なら、手袋のままでも、パスワードを覚えることなく、数秒で個人としてログインできる。交代のたびの手間も最小限。
- アカウント管理を効率化する:作業者の入退場・異動に連動して、アカウントを効率的に発行・無効化できる仕組みを整える。手作業の負担を減らす。
- 古い機器はアクセス経路で守る:個人認証に対応できない古い機器は、その手前のアクセス経路(ネットワークや接続する端末)で個人を認証・記録する。
- 段階的に進める:すべてを一度に変えようとせず、影響の大きい重要な端末・システムから優先的に個人認証へ移行していく。
重要なのは、個人認証の「手間」を、技術で解消するという発想です。「個人認証=面倒」という思い込みが、共有アカウントを温存させてきました。しかし、パスワードに頼らない素早い認証手段を使えば、現場の作業スピードを保ったまま、「誰が操作したか」を記録できます。現場にとっては、共有アカウント時代とほとんど変わらない使い勝手で、セキュリティだけが向上する——それが理想的な解消の形です。
6. 「誰が」を取り戻す
工場の共有アカウント問題の本質は、「誰が操作したか」が失われていることにあります。パスワードが変わらない、退職者がアクセスできる、過剰な権限がついている——こうした個別の問題も深刻ですが、その根底にあるのは「個人が識別されていない」という一点です。だからこそ、解決の核心は、失われた「誰が」を取り戻すこと、すなわち共有アカウントを個人認証に置き換えることにあります。
そして、その置き換えは、現場を犠牲にするものであってはなりません。現場の作業効率を保ちながら、いつのまにか「誰が操作したか」が記録されている——パスワードに頼らない素早い認証手段があれば、それは十分に実現可能です。共有アカウントの解消は、我慢を強いる改革ではなく、現場に優しい形で進められるのです。
共有アカウントの解消は、工場のセキュリティを一段引き上げるだけでなく、取引先からの信頼を守り、各種の評価制度や監査に応えるためにも、避けて通れない取り組みです。まずは自社の現場に、どれだけの共有アカウントが残っているかを確認してみてください。そして、それを現場の負担なく個人認証へ移す道筋を描くこと。「誰が」を取り戻すその一歩が、工場の守りを確かなものにします。